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 トップメニュー>登場武将一覧トップ>各地の独立勢力 河野氏・菊地氏・緒方氏・湯浅氏・田口氏・熊野三山・興福寺・藤姓足利氏
 
 

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河野通清 河野通経 河野通信 河野宗賢 沼田次郎 平田俊遠 菊池高直
日置兼秀 宗像氏国 山鹿秀遠 高木宗家 鮫島家高 藤内康友 緒方惟能
臼杵惟隆 野尻惟村 佐賀惟憲 戸次時頼 湯浅宗光 湯浅宗重 湯浅宗方
湯浅宗景 園部忠康 田口重能 田内教能 桜庭能遠 蓮池家綱 熊野湛増
亀井重清 永縁 筒井明秀 信円 勢至 覚範 坂永覚
土佐房昌俊 足利俊綱 足利忠綱 佐野基綱 桐生六郎    

河野 通清 (こうの みちきよ)
伊予権介。水軍の将。頼朝の挙兵に呼応して伊予目代を討つ。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
45 70 26 58 64 37 14 72
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河野 通経 (こうの みちつね)
道信の弟。義経を鳥帽子親とし、武術も義経に教わったという。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
47 67 20 38 56 74 18 49
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河野 通信 (こうの みちのぶ)
通清の子。水軍を率いて源氏に与し、屋島や壇ノ浦で活躍。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
67 80 33 55 59 56 24 79
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河野 宗賢 (こうの むねかた)
通信の弟。出家したのちは出雲坊宗賢という。大力剛勇の器量人。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
60 80 38 37 70 49 39 77
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沼田 次郎 (ぬまた じろう)
河野通信の舅。通信が父の仇西寂を討つのに協力した。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
59 64 20 39 54 43 19 66
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平田 俊遠 (ひらた としとお)
伊賀の人。伊勢・伊賀の国人を糾合して源氏に抵抗した。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
55 59 21 40 52 45 26 73
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菊池 高直 (きくち たかなお)
肥後の豪族。平氏に供して帰郷するが、のちに平氏を見限る。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
57 80 47 58 54 55 36 63
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日置 兼秀 (ひおき かねひで)
薩摩国島津庄の住人。奥州攻めの際、頼朝に属して所領安堵。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
51 59 24 28 47 54 36 69
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宗像 氏国 (むなかた うじくに)
筑前国宗像社大宮司。摂津守。源平の内乱に乗じて周辺を横領。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
73 55 59 22 57 77 38 63
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山鹿 秀遠 (やまが ひでとお)
筑前の人。平氏に従う。壇ノ浦で水軍を率い奮戦した。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
56 63 42 50 56 41 29 91
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高木 宗家 (たかぎ むねいえ)
肥前の豪族。同国在地領主の本家。幕府御家人となった。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
58 64 19 42 44 46 33 63
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鮫島 家高 (さめじま いえたか)
薩摩国阿多郡北方地頭。南方地頭の弟宗景と境界線を争った。 
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
60 53 36 17 45 51 32 60
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藤内 康友 (とうない やすとも)
薩摩国鹿児島郡の郡司。奥州合戦に参加して本領安堵される。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
54 60 39 23 49 56 34 66
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緒方 惟能 (おがた これよし)
臼杵惟隆の弟。義経を頼朝から匿おうとして流刑に処せられる。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
71 80 17 70 41 57 22 73
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臼杵 惟隆 (うすき これたか)
豊後の豪族。源範頼の九州経略に、一族をあげて協力した。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
61 73 22 40 48 68 21 61
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野尻 惟村 (のじり これむら)
緒方惟能の次男。惟能の使者として、平氏に宣戦布告した。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
48 71 21 32 52 59 21 72
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佐賀 惟憲 (さが これのり)
臼杵惟隆の弟。兄に従って範頼の九州経略に協力する。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
39 66 18 30 50 48 16 77
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戸次 時頼 (べつき ときより)
太郎と称す。豊後の人。源氏に従って平氏と戦ったらしい。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
55 72 24 48 53 50 35 74
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湯浅 宗光 (ゆあさ むねみつ)
宗重の子。熊野に潜入した平惟盛を、それと知りつつ見逃す。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
74 65 65 39 61 62 52 63
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湯浅 宗重 (ゆあさ むねしげ)
紀伊権守。紀伊の大族。平氏の郎党として源氏と戦う。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
82 68 74 59 84 86 51 65
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湯浅 宗方 (ゆあさ むねかた)
宗重の子。六郎と称す。分家して糸我氏を称した。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
63 65 67 30 57 54 60 67
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湯浅 宗景 (ゆあさ むねかげ)
宗重の子。太郎と称す。父を継いで湯浅党の総領となった。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
67 73 67 33 58 61 47 70
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園部 忠康 (そのべ ただやす)
紀伊の人。安摩忠景を助けて平教経に抗するが敗れ、上京した。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
66 61 46 19 63 49 28 80
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田口 重能 (たぐち しげよし)
阿波の豪族。平氏の西走に一族を率いて協力した。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
65 67 17 58 29 27 44 83
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田内 教能 (でんない のりよし)
田口重能の一族。屋島の合戦の際、源氏に降った。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
20 57 14 29 58 53 48 60
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桜庭 能遠 (あだち もりなが)
田口重能の弟。四国阿波に上陸した義経と戦い敗走した。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
43 56 12 42 52 63 31 74
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蓮池 家綱 (はすいけ いえつな)
土佐の人。平家の家人。源希義を追討し、これを自害させた。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
67 68 49 55 48 56 37 61
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熊野 湛増 (くまの たんぞう)
熊野新宮別当。法印大僧都。熊野水軍を率い、平氏追討に参加。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
73 62 74 54 72 72 45 75
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亀井 重清 (かめい しげきよ)
鈴木三郎重家の弟で、六郎と称す。紀伊国熊野の出身。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
33 70 22 26 54 44 15 66
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永縁 (ようえん)
興福寺花林院の僧正。重衡の奈良攻めに心痛めて病死した。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
86 21 78 12 95 43 70 28
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筒井 明秀 (つつい めいしゅう)
三井寺の堂衆。以仁王の挙兵に応じ、宇治橋で平氏と戦う。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
43 80 52 46 76 81 39 83
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信円 (しんえん)
興福寺別当。後に大僧正。東大寺大仏殿落成の際、導師となる。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
84 18 77 8 94 85 70 16
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勢至 (しせい)
興福寺の僧兵。平氏に反抗して僧兵を率い、京に乱入した。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
42 75 64 35 56 56 46 67
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覚範 (かくはん)
紀伊の人。もと東大寺の僧。佐藤忠信を追討し返り討ちにあう。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
52 79 43 38 52 61 39 78
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坂 永覚 (さか ようがく)
南都の僧兵。平重衡軍が奈良攻めに抵抗して奮戦するが退却した。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
54 83 47 54 61 79 55 82
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土佐房 昌俊 (とさのぼう しょうしゅん)
土肥実平の仲介で頼朝に仕える。のち命により義経を襲撃する。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
56 88 50 35 59 53 40 76
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足利 俊綱 (あしかが としつな) ?-1181
■頼朝に味方しなかったのが仇となる
 足利太郎俊綱。下野足利を所領とする藤姓足利氏の一族。足利忠綱の父。同族の小山氏と領地を巡って争っており、小山氏が源頼朝に付いたことで平氏に味方する。1183年2月野木宮合戦において志田義広と共に小山朝政と戦うが敗北。同年9月には頼朝の命を受けた和田義茂が侵攻したのを受ける。その際に郎党であった桐生六郎に殺害され、首は頼朝の下へ送られた。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
73 75 32 55 42 49 48 71
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足利 忠綱 (あしかが ただつな) 1164?-?
■父と共に転戦するも頼朝に敗れる
 足利又太郎忠綱。下野足利を所領とした藤姓足利氏の一族。吾妻鏡に勇猛果敢で声が良く通り百人力であると評されている。以仁王の挙兵の際に令旨が無かったことを屈辱に思い平氏方に付く。忠綱は宇治川の橋合戦での活躍がめざましく、源頼政を敗死させる。
 この時の恩賞として上野国十六郡の大介職と新田荘を清盛に請求するが、この件で身内とトラブルとなり撤回される。 源頼朝の挙兵の際には常陸の志田義広と結び対抗する。しかし1183年、野木宮合戦において小山朝政と戦い敗北。その後、家人の桐生六郎の言葉に従い西海(九州方面)へと逃げた。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
43 78 30 57 52 37 12 64
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佐野 基綱 (さの もとつな)
下野の人。足利忠綱の一族。頼朝に与して志太義広と戦った。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
56 72 30 31 52 66 36 75
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桐生 六郎 (きりゅう ろくろう)
■不忠者として頼朝に殺されてしまう
 藤姓足利氏の一族とされ、足利俊綱・忠綱の家人。桐生六郎として知られているが名は不明。吾妻鏡にその記載がある。
 1180年の以仁王の乱の際は、足利忠綱に従って源頼政と戦ったとされている(桐生市史)。
 1183年野木宮の戦いで敗走して上野國山上郷龍奥に籠った足利忠綱に九州へと逃げるよう進言をした。その進言に従い、忠綱は九州へと逃げた。
 しかし同年9月、頼朝へ心変わりして足利俊綱を殺害して首を取り降ろうとした。首を持って鎌倉に行くが、頼朝は会わず梶原景時が対応することになる。また首実検は下河辺政義が行った。
 俊綱の首を取った功で御家人にして欲しいと梶原景時を通じて願い出るが、頼朝に「代々仕えている主人を殺すのは賞するに値しない。すぐに処刑するように」と返され、景時に首をはねさせた。頼朝は六郎自身は不忠者として斬らせたが、その家族や里の者の家を殺してはならないと命令を下している。
 桐生六郎の忠綱に対する進言を見ると、不忠者としてはいささか不可解な行動である。ともあれ、桐生氏は滅亡を免れその後も続いていった。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
50 65 28 33 30 62 17 73
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